Hace 23 horas · ところが寛弘2年(1005)の内裏焼亡のときは、内裏再建は1年強で終わっているにもかかわらず一条天皇は里内裏から戻らず、寛弘5年(1008)の5~6月頃に一旦新造内裏に入ったが、1年も経たぬ翌年4月以前にまた里内裏の一条院に戻っており、内裏が再建されしだいそちらに戻るという慣例がくずれる 。