戦国時代、武田氏の庇護により天台宗に改宗したが、天正10年(1582年)織田信長の兵火で焼失、天正壬午の乱後に、依田康国によって再興された。 元禄15年(1702年)に観音堂を、文化10年(1813年)に仁王門を再建、天保7年(1836年)には妙見堂を建立した。
しかし天正10年(1582年)3月1日、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔に処せられた。 この城は、加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山麓門徒たちの記録として歴史上の意義をもつ。